+ DJバトル世界大会で準優勝 / DJからアーティストへ
1992年、単身ニューヨークに渡る。同年、NMS(ニューミュージックセミナー)で行われたDJ Battle For World
Supremacyに出場、準優勝を獲得する。
Hip-Hop アンダーグラウンド・シーンにおいて日本人DJが初めてその実力を認知されたこの歴史的瞬間からdj
hondaのアーティストとしての活動がスタートした。
+ アジア人、初の快挙! ビルボード誌Rapチャートで17位獲得!
1995年、ソロ・アーティストとしてSONY MUSICと契約。ファースト・アルバム"dj honda"を日本でリリース。The
Beatnuts, Redman, Guru, DJ Premier, Fat Joe, Common, Eric
Sermonなど本場のトップ・アーティストが参加したこのアルバムは画期的なDJアルバムとして大きな話題となる。
1996年、日本盤アルバムから約1年を経て制作された新たな内容の全米盤アルバム完成。米RELATIVITYと契約、7月に全米リリース。このアルバムはビルボードTop
R&Bチャートに90位で初登場。8月には同アルバムがヨーロッパでもリリースされ、アーティストそしてプロデューサーとしてのdj
hondaの存在が世界に知れ渡ることとなる。アルバムからのカットとなったシングル"Out For The Cash"はThe Beatnuts,
Common, Fat Joeの共演ナンバーで、MTVなどのミュージック・チャンネルでヘビーローテーションされた。
1997年、セカンド・アルバム"h II"リリース。このアルバムには、De La Soul, Keith Murray, KRS-One,
Mos Defらが参加。ビルボード誌Top R&B Albumsチャートで57位を獲得。Cuban Link, The Beatnuts,
Missin' Linxをフィーチュアした"On The Mic"をシングルとしてリリース。続くシングルはMos Defをフィーチュアした"Travellin'
Man"。このシングルは、ビルボード誌のHot R&B singles Salesチャートで51位、Hot R&B
Singlesチャートでは76位に登場。さらにHot Rap
Singlesチャートでは10週以上チャートに入り続け、17位まで上昇。アジア人として初の快挙を成し遂げた。
+ 自身のレーベル dj honda RECORDINGS 設立
1999年、SONY MUSIC及びRELATIVITYを離れ、自身のレコード・レーベル dj honda RECORDINGSをニューヨークに設立。続いて同年9月にはdj
honda RECORDINGS JAPANを東京に設立した。
同年、2枚のシングル("the eclipse/old school,new school" "we don't play")とアルバム1枚(dj
honda 2000)、DJコンピレーション・アルバム1枚("Turntablist Revolution
vol.1")を立て続けに日本、アメリカでリリース。
+ 2000年、アメリカにおけるディストリビューション契約をRED
Distributionと締結
dj honda RECORDINGSとしての本格的な活動がスタート。
6月20日、シングル"EL PRESIDENTE"をリリース。Jeru the Damajaをフィーチュアしたこのシングルは、ビルボード誌の3チャートに初登場(Hot
Rap Singles 40位、Hot R&B/Hip-Hop Singles Sales 72位、TOP 200 Singles 108位)。
さらに、Hot Rap Singlesは34位に、Hot R&B/Hip-Hop Singles
Salesは62位へと上昇。自身のレーベルからリリースした作品をビルボードのチャートに叩き込むという、目標を早くも現実のものとする。
発売後も好状況は続き、Heavyweights Record PoolチャートとMasspool DJ
Associationチャートで1位を獲得。その他、"HITS"magazine6位、URBUN
NETWORK4位、GAVIN7位など数々のチャートにランクインした。
+ 2001年1月17日、待望のアルバム"h III"(JAPAN
EDITION)を日本先行でリリース
5月8日には"EL PRESIDENTE"に続くシングル"REAL TO ME"(feat. Triple Seis, Headcrack,
Miss Jones)が全米発売された。6/2付ビルボード誌チャートではHot Rap Singles 36位、Hot R&B/ Hip-Hop
Singles Sales 65位にランクイン。
さらにその "h III"に参加したPMD(Hip-Hopシーンの頂点を極めたスーパー・デュオEPMDのParrish
Smith)とのコラボレートによるアルバム"UNDERGROUND CONNECTION"のレコーディングがスタート。このアルバムは、"h
III "に続いて、dj honda RECORDINGSからリリースされる(2001年7月4日・"UNDERGROUND CONNECTION"と
" h III "からの3曲をコンパイルした日本独自企画盤"LOVE IS
LOVE"日本のみでリリース)。2002年4月27日に日本盤先行リリース。
+ 2001年10月、dj honda RECORDINGS
KOREAを韓国・ソウルに開設
2002年8月2日には第一弾アルバムとして韓国盤「UNDERGROUND CONNECTION」を正式リリース。同年12月には " h III
"韓国盤をリリース。いずれも韓国のMC(CB MASS、EPIK HIGH、JOOSUC、VASCO、DEFCONN)をフィーチュアしたトラックを特別収録している。
2002年4月、アルバム" h III"に参加したPMDとのコラボレートによるアルバム"UNDERGROUND CONNECTION"
日本先行リリース。8月には同アルバムの韓国盤を、12月には"hIII"の韓国盤をリリース。韓国盤はいずれも、韓国のアーティストとコラボレートした楽曲を収録している。
+ 2001年10月、dj honda RECORDINGS
KOREAを韓国・ソウルに開設
2002年8月2日には第一弾アルバムとして韓国盤「UNDERGROUND CONNECTION」を正式リリース。同年12月には " h III
"韓国盤をリリース。いずれも韓国のMC(CB MASS、EPIK HIGH、JOOSUC、VASCO、DEFCONN)をフィーチュアしたトラックを特別収録している。
2002年4月、アルバム" h III"に参加したPMDとのコラボレートによるアルバム"UNDERGROUND CONNECTION"
日本先行リリース。8月には同アルバムの韓国盤を、12月には"hIII"の韓国盤をリリース。韓国盤はいずれも、韓国のアーティストとコラボレートした楽曲を収録している。
+ 自身のレーベルで映像進出
2004年、自身のアーティストとしての半生を追ったドキュメンタリーフィルム"REASON"(公開/DVD予定)の制作に入り、その予告編とも言える特別バージョンが
"東京国際ファンタスティック映画祭2004" そしてNYで行われた "HIP HOP FILM FESTIVAL"で上映され話題を呼んだ。
2004年12月24日、NYのWebster HallにてPMD、Keith Murray、K-Solo、J-Hood、JIn、 Jeru
the Damaja、Mista Sinista他などが参加した一大イベントを行った。
2005年、REASONの公開&DVDリリース前に、シングル"REASON~第壱章~"、第二弾シングル "REASON~第弐章~"、そしてアルバム"REASON~SOUNDTRACK~"をリリースした他、
dj honda 自身初となる日本人MC (565 from 妄走族)のアルバムをプロデュースした。
アメリカ先行でリリースとなったドキュメンタリー映画 ”THE MC” の音楽制作を担当。
2006年、MTVで放送された"Run's House", "Rob & Big", "Wild Boyz"の3つの番組用にトラック提供。
プレイステーション2用ソフト"The Fast & Furious 3 : Tokyo Drift"へトラック提供。
8月にPMDと共にHawaii Tourを行なった。
12月、遂に2008年春に全米リリースされる新作"dj honda IV"のレコーディングを開始。
2007年、LA、San Francisco、MiamiそしてNew Yorkにおいてニューアルバム"dj honda
IV"のレコーディングを行なっている。
9月、Las VegasにてPre-MTV Video Music Awardsイベント"Ballin N Beats"にNelly
Furtado, DVD, Ne-Yo, Souja Boyなどと出演。
映画"Stuck"用にトラック提供。
2008年、遂に待望のニューアルバム"dj honda IV"がリリースされる・・・。
+ 音楽とファッションの融合 NYから世界へ
現在はHip-Hopアーティストの活動のひとつとして定着化している音楽とファッションの融合をいち早くスタート。自身のロゴ "
h"をフィーチュアしたオリジナル・ブランド " h "は、幅広い層に認知されるまでになった。
2000年8月23日~31日の期間にLas Vegasで開催されたMAGIC INTERNATIONAL TRADE
SHOW(ストリート系ブランドを中心としたクロージングの大規模コンベンション)に参加。音楽とファッションを融合させた展開を世界に向けて発信。
2001年4月には、"
h"のフラッグシップ・ショップ"h272"をニューヨークのSOHOに出店。同店舗の2F部分にはDJブースを常設。ウエアの販売だけにとどまらず、毎週末ニューヨークの有名DJによるライブも行い、ファッションと音楽を融合させた活動の拠点として注目を集め、2005年始めにソーホーから今NY話題のローワーイーストサイドに移転。近日中オープン予定。今後は日本のみならずアメリカでのブランド展開も本格化していく予定。
さらに01年8月24日には、韓国ソウル市アックジョンにブランド"h"の直営店がオープン(現在は、ソウルのテハンノ、アックジョン、ムンジョン、ブピョンの計4店を展開)。日本の"
h "フラッグ・ショップ"REAL DEAL"を全面改装。DJ、 Hip Hopファンの交流の場として地域に密着した展開を行っている。
アメリカ、日本、韓国に続き、ヨーロッパ各国、オーストラリア、ニュージーランドやアジア諸国他の音楽関係者からディールのオファーが殺到。レーベルとしての具体的な展開プランの検討に入っており、今後はまさに
ワールドワイドな展開が本格化していく。 |